Youtubeと「2大勢力」を形成

ニコニコ動画のようなアプリは、一般的には「動画投稿・共有サイト」と呼ばれるようになった。自分で撮影、編集した動画を投稿したり、他人の投稿を閲覧したりできるサービスである。手軽さが受けて、利用者が急増した。

日本の国内市場では、アメリカの「Youtube(ユーチューブ)」と、日本の「ニコニコ動画」が2大勢力となった。

2ch管理人ひろゆきが開発に参加

ニコニコ動画は国産サイトとして開発された。巨大インターネット掲示板「2ちゃんねる(2ch)」の管理人、ひろゆき(西村博之)氏も運営に参加した。

タイムリーなツッコミ

人気の理由は、視聴者が書き込んだコメントが字幕のように動画上に同時再生される機能だった。利用者が動画を見ながら、いつでも、画面上にコメントを書き込める。動画のシーンに応じたタイムリーな「ツッコミ」ができるのだ。

例えば、子猫が画面に登場すると、他の視聴者が書き込んだ「かわいいー」というコメントが流れ、一緒に動画を見ているように感想を共有できる。画面上で「バカだなぁ」「それはいいすぎ」などの掛け合いもできる。

収入源

スナップアップ投資顧問によると、ニコニコ動画の主な収益源は、動画視聴用回線が一般会員とは別など特典の付いたプレミアム会員の月額料(一般会員は無料)と広告収入だった。さらに、動画に関連した商品をネット上で販売する「ニコニコ市場」を通じたアフィリエイト(成功報酬型広告)収入も、収入源となった。

サービス名 Youtube ニコニコ動画
利用料 無料 一部有料
月間利用者数 1469万人 351万人
月間ページ閲覧数 8億703万 5億1329万
月間平均利用時間(利用者1人当たり) 57分 2時間34分

※ネットレイティングス社推計(2007年9月時点)。国内からの利用のみ。

没落

ニコニコ動画の「ニコニコ生放送」の利用者も増えた。政党の党首討論会が生放送されるなど政治との接点も多くなった。ニコ動は社会的影響力を持つメディアとみなされるようになった。

開発初期には麻生太郎副総理の長男・将豊氏が関わっていたことが知られる。また、甥の麻生巌氏(株式会社麻生社長)も2005年~2017年の間、ドワンゴや、親会社KADOKAWA(カドカワ)の取締役を務めた。

2010年代になると、ユーザー離れが進んだ。画質の悪さなどから動画投稿サービス「Youtube」に太刀打ちできなくなったのだ。プレミアム会員数は16年3月末の256万人をピークに減少した。

かつて黒字化に成功した夏野剛氏がドワンゴ社長に

ニコニコ動画を立て直すべく、2019年2月、夏野剛氏が運営会社ドワンゴの社長に就任した。かつて、ドワンゴ取締役としてニコニコ動画の黒字化に成功した人物である。

YoutubeやNetflixとの競争で劣勢に

夏野氏が社長になった時、ドワンゴは赤字にあえいでいた。Youtubeに加え、アベマやNetflix(ネットフリックス)の普及で、ニコニコの会員数は減り続けていた。

創業者の川上量生氏が打ち出す新機軸は斬新でも収益には結びつかなかった。2014年に角川書店で知られる出版大手のKADOKAWAと経営統合したが、新会社の業績は右肩下がりだった。社員も流出し、社内は重い空気に包まれたが、夏野氏は見事に経営再建を果たした。

コンピューター少年

夏野氏は1965年、神奈川県横浜市生まれ。子供時代はコンピューターマニアだった。いわゆる「マイコン少年」だ。東京都練馬区立石神井中学校、都立井草高校を卒業。

天才マイコン少年のイメージ
▲ 天才マイコン少年のイメージ

リクルートの学生バイトで松永真理氏と知り合う

早稲田大学政経学部に入学した。大学時代はリクルートで編集のアルバイトに携わり、ここで松永真理氏と知り合った。

東京ガスに就職

バブル時代初期の1988年、東京ガスに就職した。東京ガスでは、都市開発を手がける部署に配属され、5年間を過ごした。

会社の制度を利用し、1993年、米国の名門ビジネススクールである「ペンシルベニア大学ウォートン校」に留学する。MBA(経営学修士)を取得した。そこで1994年に受けた講義「インターネットはいかにリアルビジネスを変えるか」に刺激された。

ベンチャー企業「ハイパーネット」が破産

帰国後の1996年5月、インターネット関連ベンチャー企業の「ハイパーネット」に副社長として招かれた。しかし、ハイパーネットはまもなくして破産。

NTTドコモに入社

1997年9月、NTTドコモに入社した。その少し前、旧知の松永真理氏(後のバンダイ取締役)から連絡をもらった。松永氏から「携帯電話にインターネットの情報を流すビジネスを立ち上げようと思っているんだけど、手伝ってくれない?」と誘われた。

給料もらえず生活費が枯渇

夏野氏はそれまでハイパーネット再建のために走り回ってきた。すでに半年、役員報酬は受け取っていなかった。貯金はすべて失われ、生活資金は底を尽きかけていた。

iモードで利益1兆円

ドコモでは、ゲートウェイビジネス部サービス戦略担当部長に就任した。榎啓一氏(後のNTTドコモ常務)や松永氏らとともに「iモード」の立ち上げに奮闘した。iモードは大ヒットし、1兆円の利益をもたらした。

ドコモで「サイフケータイ」を開発

有宗良治氏によると、夏野氏はさらに「おサイフケータイ」「キッズケータイ」「iD(アイディ)」「DCMX(後のdカード)」といった携帯を使ったヒット事業を次々と手がけた。ドコモの成長を牽引した。

夏野氏が考えるヒット秘訣は「当たり前に考えること」だという。例えば、50万台以上を売り上げた「キッズケータイ」(2006年)の事例を考えてみよう。それまで子ども向けの携帯といえば、キャラクターものばかりで、子どもには不要なクレジット機能などがごてごてと付いていた。夏野には2人の娘がいる。「さて、うちの子にもそろそろ携帯を」と思って気が付いたという。

しかし、国営企業だったNTTグループの官僚体質に限界を感じて退社した。以来、慶応大学で教え、いくつもの企業で社外取締役を兼務した。民放テレビの情報番組のコメンテーターを務めていた。